「この世の全てのものに永久不変はない、ということです。
諸行はこの世の全てのもの、現象。
無常は常に移り変わること」とある。

仏教用語であり、耳にしたことがないという人はいないだろう。

ネット検索より
【諸行無常、諸法無我、涅槃寂静、という三仏印のなかのことばで、
諸行は無常なり、諸法は無我なり、といって

この世に姿を現しているもの一切は、
一瞬たりとも、同じ姿をとどめることは
出来ない(万物は流転する)。
そして、すべては、自分ひとりの執着で存在することは出来ない。
一切がすべての存在との関わりあい(深い絆)で営まれている、
という意味を言われているのではないでしょうか。

この意図はどこにあるかといえば、
諸行無常とは神の(宇宙の)無限の慈悲であり、
諸法無我とは究極の愛の姿を現している、
という意味だと思います。
つまり、一瞬たりともそのすがたをとどめないから、だからこそ
常に新鮮であり、新生で有り続けることができる。
そして、存在するすべてが宇宙すべてと関わり合っているから
究極の愛の姿で存在し続けることができる。
ということではないでしょうか。

善とか悪とか、光りとか闇とかを超えた世界にこそ
涅槃寂静という安心立命の安らぎと癒しの世界が
現れるという究極の心の境地を述べているのだと
思っています。

真実を捜し求めるから、迷走混乱の暗闇にさいなまれ
その分別を知りたいからこそ、光りと闇、悲しみと安らぎの
表裏一体に感動し、深い谷底を知り尽くして、真実の本体に
涙するのだと思います。

草に雑草というものがないように、
虫に害虫があるのでもなく、まして、生まれるときから
悪人という人間は一人もいないのですよね。

人間はその人生の中から、一切は光りと陰が当たり前の世界と
そのままを受け入れて到達したとき
迷うことも無くなり、欲しがることも無くなり、そして
執着することも無くなったときが
初めて悟りという当たり前の生き方が出来るようになって行く
のではないでしょうか。

この世は、光り(真実)が強ければ強いほど、
闇(偽善と欺瞞)もまた強く現れる世界です。

心のトラウマも泣いてきたところで眼のうろこが
一つまた一つと落ちていくのだと思います。

それまで、守れると身構え、鎧をまとい、
見つけた護身の武器の一つ一つが解かれ
消えてゆく人生の引き算を感じるのではないでしょうか。
愛を知らずに、愛に泣いて、
愛の真実に、心の眼が開かれてゆくのだと】

現在社会は、人とののしりあい、戦争という過去の過ちが
活かされていない時代。
我が我がの欲意識が減ることは無く増すばかり。
悪さがはびこり、国と国の争いも絶えず
個人個人は、不平不満が溢れんばかり
そんな時代に【諸行無常】・・・・何かホッとするような。

投稿メンバー

江本ヒロミHiromi Emoto
神奈川県出身
いつまでもあると思うな親と金。
心も大きく体も大きいが病気は一切無し。心身ともに健康。