20150629「下流社会」
2005年にベストセラーになった三浦展氏の著書であるが記憶の残っている人はいるであろうか。
一億中流認識から、上中下の格差が広がりつつあるということであったような。

発刊から10年が過ぎ去り、今やどんな時代になっているのだろうか。
若者の貧困・貧困女子・貧困家庭・母子家庭の貧困・貧困層・貧困ビジネス・貧困とは・貧困ビジネス・貧困年収。
「貧困」で検索してみれば、この10年でたくさんの貧困が作られつつあるのか実際なのか。
昨今は、「下流老人」という言葉が躍っているような。
社会福祉士 藤田孝典氏が出版なされた「下流老人」朝日新書では、このままでは、9割の高齢者が貧困に落ちるであろう・・・と。

戦後70年。
世界では戦闘が絶えないが、日本は戦争をしないと断言して70年がたったわけだ(法律改訂議論中かな)。
小学6年の教科書に書かれている戦争を参考にしてみた。

1941年(昭和16年)太平洋戦争突入
1942年(昭和17年)ミッドウエー海戦で日本敗北
1943年(昭和18年)学徒出陣
1944年(昭和19年)学童疎開
1945年(昭和20年)原爆投下(長崎・広島)玉砕放送(8月15日)
その前からの戦争は、知るところでは満州事変・5.15事件・2.26事件・日中戦争などなど(詳細省略)でしょうか。

日本では、100歳の誕生日を迎える人に、国から銀杯が贈られるそうだ。
銀杯を巡って、老人に差し上げていいではないですかという意見。
なかには、有意義に使われてはと答える高齢者。
それでは、若者は、そのお金を若者回してほしいとか、無駄無駄とかの回答。
発言は、メディアでの一部であろうが何とも寂しさを覚えるのと同時に、この国の歴史知ろうともしないことを残念にも思う。
戦争の歴史を記憶できれば、今の老人と言われる方々も若者であったわけだ。
有無もなく、お国の為に駆り出された戦争。
戦いだけではなく、学業を中断し駆り出された労働であったと聞く。

私は戦後生まれではあるが、戦争を経験された方々は、無口で多くを語ろうとしない。
それに比べて、現代は大いに発言すべきの解釈が、なんでもかんでも発言すればいい・主張すればいいというようになっているような。

ディベートとは大いに異なる解釈違いの発言は、時として問題を大きくしていくようにも思える。

太平洋戦争突入時に
現在100歳のお方は、25歳・敗戦時、30歳
95歳のお方は、20歳・敗戦時、25歳
90歳のお方は、15歳・敗戦時、20歳
85歳のお方は、10歳・敗戦時、15歳
80歳のお方は、5歳・敗戦時、10歳
75歳のお方は、0歳・敗戦時、5歳

現在の若者たちの年齢に合わせてみると、なんとも言えない感情が湧く。
96歳の義母は、敗戦時26歳。
福島に疎開をしたと聞く。
この時、子供は4歳と2歳。
疎開先で歌を披露しお菓子をいただいていたと。
義父は、戦争でお金も保険も紙くずになったと。
敗戦時35歳(?)
会社で働き、その会社の仕事を請け負って家でも仕事をし、敗戦後に第三子を授かり、家を建てられたのは50歳過ぎ。
子供は大学へ行かせ、定年は60歳(義父が家を建てたときの記録を今でも保管しているが大変だったのだと思えるのだ)。

我が母は82歳で天寿をまっとうしたが、父は52歳で天国に旅立った。
母は40歳。
13歳~3歳までの4人の子供を抱えて、それでもお国のお世話にはなっていけないが口癖だった。
父も母も口数少なく、それでも子供たちは不平不満で爆発するようではなかった。

時代と言えば時代だが、現在を見ていると、不平不満と物事の起こったことは社会や他人に責任となりつつあるような。

「下流老人」という言葉が、独り歩きして、高齢者が排他的にならないよう心から願うばかりだ。

口重き高齢者と、めまぐるしく変化し、情報過多の時代の若者がどこで融合できるのだろうか。
姨捨山の言葉がふと浮かんだ。

投稿メンバー

江本ヒロミ
江本ヒロミHiromi Emoto
神奈川県出身
いつまでもあると思うな親と金。
心も大きく体も大きいが病気は一切無し。心身ともに健康。