20140619他愛もない每日が、どんなに素敵なことか。
最近、遠く離れた家族と話をした。

函館に住まいを構えて15年、移り住み10年。
周りの住人も、退職後に都会から移り住んできた人々。
隣のうちは、ご主人様の病気になり、売却して千葉県へ移って行った。

その後に住まわれた方は、両国から。
奥様が病気とか。
静かに過ごすために田舎を選んだと言われた。

その隣のお家は、ご主人様が木から落ちて入院。
精密検査の結果、心臓が悪いと指摘され、ペースメーカーを入れたと。
前のお家では、ご主人様が救急車で運ばれ、いつもなら車でお帰りになるのだが、未だ車は残されていると。

仕事から開放され、都会から田舎へ移り住み、遊ぶことに事欠かない地では、ご夫婦と仲間作りの団体であっちこっちと動きまわっている。
会社という団体生活から、遊びの団体生活へ。
山菜の時期は、それーーーと団体で行動し、山の花々は庭に植え付け、何でも団体行動であるような。

山の草花は持ち帰らないのが鉄則であり、地元の人は山菜は根こそぎ取らないが鉄則であろう。
団体になると、子供も大人も怖いもの知らずなのかもしれない。

仕事・家庭から解き放されたご夫婦二人の生活は、のんびりゆっくり無理せずに・・・・ではなく、それいけどんどんと水を得た魚のように泳ぎまくっているように見えるのだが。

我が夫は、山男である。
ロッククライマー。
今は、尾根歩きを一人で楽しむくらい。
陶芸を教え、地元の子供達に陶芸教室開催を依頼されたり、そば打ちを公民館で振る舞ったり、テニスにスキー・写真と10年の年月に手習いをしつつ暮らしている。
近況報告のブログも、はや10年。
家族の為のブログも、ブログ仲間ができ楽しんでいる様子。
豊富な食材からジャムは何種類も手作り、もちろんパンも手作り、ピザ生地、蕎麦・・・掲げたら切りがないほどである。
一人暮らしは、料理まで上達させると感心をしているわけだ。
そして、なによりも【続ける】という普通のことを普通の行えること。
できるようで出来ないものだが・・・。

終の棲み家の予定が、私がなかなか田舎に移り住むことができない。
仕事か?
子どもや孫達の生活の手助けか?
夫婦共にの生活は、どんどんと遠ざかっていくが、それぞれが自らに課せたことを、お互いに理解しつつ暮らしていいけることが、まずは健康なのかもしれないと昨今思っている。

この年代の男性は、なかなか一人暮らしを楽しむことはできない年齢であろう。
思うことは、精神力の強さが必要なのだと思える。
ロッククライマーとして過ごした年月は、今に生きているように思う。
孤独との戦いと、自分のことは自分でするという精神は、一人暮らしをして磨きがかかっているように思える。

ブログとメールが、お互いの様子を知る道具。
たまに訪れる子どもや孫たち。
今年もその夏の時期が近づいてきた。
遠くはなれた孫達からも【爺爺】と慕われ嬉しい限りであろう。
そう言う私は、每日每日、ぎゃあぎゃあぴいぴいの賑やか(うるさい・・・)な生活を送り、孫にはキツイ言葉を言われながらの生活である。
これまた良かれとしよう。

夫婦といえども、元は他人同士。
生活習慣も生きてきた過程も異なる者同士。
お互いがお互いを引っ張りあい、自分の方へ引きずり込もうとせず、少し離(心を)れて、それぞれの生き方を尊重しつつ暮れせることが、夫婦の良い所を発見できるのかもしれないと思える年齢になった。
この先に自分達の後始末も語り合いつつ。

エンディングノートが当たり前になってきている。
今は、65歳が老人というグループに入るのだろうか。
自分の後始末と生まれてきてくれた子供たちへの遺言は、金銭だけではなく、親がどう生きていきたいかを知らせることかも知れない。

急変する天候に、少しばかり憂鬱な時期でもあり、物価高も人ごとではない。
それでも、心だけは平静を保っていたいものだ。
そして今まで、健康で過ごせたことに感謝しかないな・・・と。

【健全な精神は、健全な肉体に宿る】
この言葉の解釈は幾通りもあるわけだが、
○【心身ともに健康であること。願うならこの程度にしておきなさい。決してそれ以上の大きな願いを抱いてはいけない】
○【若者よ。肉体だけを鍛えでもダメだ。勉強をしないことを嘆いた】
その他にも沢山あるようだか、大きな願いではなく、今ここに過ごせるだけで感謝していようと思う。

雑ごとでした。

投稿メンバー

江本ヒロミHiromi Emoto
神奈川県出身
いつまでもあると思うな親と金。
心も大きく体も大きいが病気は一切無し。心身ともに健康。