201312092013年、今年も暦が1枚になった。
なんとなく気ぜわしくなるのはなぜだろうか毎年思うのだが、毎度のことながらバタバタと過ごすはめになる。

ずいぶんと昔には、暮れの恒例行事として、畳を外に干して布団叩きでパタパタと汚れを叩きだし日干した。
畳を上げた床を綺麗に掃除し、隅々に入れてあった新聞紙を新しいものに変えた。
日干された畳を元に戻す。

今更ながら、畳1枚を持ち上げるのもしんどいはずが、よくもまあ・・・すべての部屋の畳をあげて干し上げたものだと思うわけだ。
男手があったかというと、そうではなく母親と子供達で行った行事だった。

障子の紙を剥がし、枠の汚れを洗い、また貼り直し。
唯一楽しみは、障子の紙に手といれ、破ることの快感だったような。
真っ白な障子が眩しかった記憶がある。この作業も母子の仕事。

現代のように、部屋が床張りの洋間ではなかったが、玄関上がりは広く、畳部屋はもう一間ほどの床の廊下あった。
床部分は、水拭きをして・ワックスを掛け・空拭きをする。

【はたき】ですす払いをする。
濡れた新聞紙を細かく切り、部屋にまき、ほうきで掃き掃除。
玄関も今のように狭くはなく、どこの家も大きめな広さであったような。
そこにも濡れ新聞紙をまき、掃き掃除をしたものだ。

現代のように掃除は・・・・専門職に頼もうかしら。
換気扇の汚れ・大きな掃除・障子の張替えはお父さんのお仕事よ。
子どもたちは、大掃除を手伝うことも少なくなり、特に女の子はお掃除や料理や家事の仕事の知ることがなくなってしまっているような。

私達のような団塊の世代は、昔と現代の間の中にいたように思えるが、自分が家庭の仕事を深く体験したかと言えば、そうではなかったと言えば聞こえがいいが、やらなかった事実であるわけだ。
自分が家庭を持ち、子を持って思うことは、母親が行ってきた家事一般の仕事は、同じように見よう見まねで行うことができるのは、とにもかくにも、母親の行動の記憶であろうか。
子供に多くの影響を及ぼすこと・・・すなわち母親の立ち振舞なのだろう。

昨今、料理はできません・掃除・・・嫌いなのよ・・・
綺麗にするということと、【やった】ということは異なることを知らない女性が増えているように思えるのは・・・私だけであろうか。

ダニや埃は体に悪い、専用の掃除機も大流行。
空気の汚れは禁物、こちらの家電も、家はないと言う人を探すほうが難しい。
お水も、定期的に交換してくれるウォーターサーバーの普及。
トイレはウォシュレットとなった。
家は、24時間クリーンに、常に空気の循環がされています・・等など

どれも現代人にとって便利で安心を得られる品々だ。
どれもこれも機械が行ってくれるわけだが、さてさて、その機械をお掃除していると尋ねると・・・・どうかな・・・。

掃除機を掃除していますか。
空気清浄機、お掃除大丈夫。
ウオーターサーバーのメンテナンスは行われても、外に埃や汚れは大丈夫。
ウオシュレット・・・ここはお掃除しないとね・・・・。見えない所だから。
24時間クリーンな家の空気口や排気口・・・一軒の家にいくつあろうか
半年掃除をしないと・・・・こちらも見えない所。

人間が手間を惜しんでいる分、電化製品が行ってくれる。
その電化製品は、やはり人間の手で掃除をしなければ・・・・。

時代と共に、住いも電化製品も、綺麗に対する考え方も変わってきたが【本当の綺麗】は、なんぞや・・・を考えたいと思う年の瀬でもある。

投稿メンバー

江本ヒロミHiromi Emoto
神奈川県出身
いつまでもあると思うな親と金。
心も大きく体も大きいが病気は一切無し。心身ともに健康。