何年ぶりに電車に乗った。
人から見たら笑われるようなことだが車で移動が多く、新幹線を除く30分以上の電車の移動は5年ぶりぐらいになる。

さて、電車内は様変わりをしていた。
当然であろうが・・・。
「何を言っているの・・・毎日満員電車に乗っている身だよ」と言われそうだ。

音楽を聞く人・携帯・スマホを使っている人・・・座っている人も立っている人も。
一昔前には、音楽の音が漏れていたり・携帯で話をしていたりと若者の姿が目立ったが・・・
なんとも昔の話だが、迷惑行為と言われる時代があった。

今回は、優先席と言われている席の側に乗った。
小さなお子さんを抱えたお母さんが乗ってきたが、みな知らんぷり
寝ている人(寝たふり)・本をおもむろに取り出し読みだす人・携帯・スマホを動かしている人
ほーーー優先席はなんの為であろうか。
あれ、途中下車する人がいて、赤ちゃんを抱っこしているお母さんが側にいることを知っている40代ほどの男性が空いた席に我先にと座った。
そして、携帯を操作し始めた。
また一つ席が空いた。
初老の品の良い男性が座った。
社会でも模範になるべき地位にいるような人であった。
こちらは本を取り出し読み始めた。
お母さんには見向きもしないというか知らない素振りをしている。
30代ぐらいの女性は、ずっと読書中・50代女性は睡眠中、時たま薄め目を開けるがお疲れの様子。

通勤時間帯より、ちょい早め。
通学の学生はいない時間帯の車内光景であった。

確かに、赤ちゃんを抱いたお母さんが、緊急の用事ででかけるのか遊びにいくのか・・わからないが。
遊びであれば、満員になる電車に乗るなよ・・と言いたくなるのはわかる。
お疲れがたまっていますからね。皆さん。

赤ちゃん連れの親子も、乳母車を社内に入れ込むことなど昔・昔はなかった。
だっこではなく、おんぶするのも昔は当たり前だった。
綺麗に着飾った母親もいなかったな・・・・。子育て真最中の時期は。

今は、爪までも綺麗にし・お顔のお手入れも余念がなく、あれ・・食事の仕度はできるんかい!!。
お友達と連れ立って、子供が騒ごうが迷惑をかけようがこちらも知らんぷりで、親どうしがぺちゃくちゃという光景もある。

こう考えると、席を譲らない人々も子連れの人々も、どちらもマナーの点では卵が先か鶏が先かの世界であり、どちらがとは言いがたくなる。
垣間見た一瞬の光景が、時代を映し出していると思った。

児童詩集【サイロ】をご存知でしょうか。

発行は2012年6月現在で629号
昭和35年からの発行と聞く。
50数年の長きにわたり、子供達の詩が綴られている。
六花亭といえば、だれでも知っている北海道の銘菓を販売しているところだ。
この創業者が、始めた児童詩集であると。

50周年記念の【サイロ】の詩集を購入した。
子供達のその時代が目にうつる。時代と親たちの、昔と今の時代の違いを感じた。
帯広(北海道)という地区での、子供達の詩である。

差し詰め現代風に子供の目からみた大人へ向けての詩を書くとすれば

【私の家の朝ご飯は、シリアルに牛乳です。
お昼のご飯は、学校で給食を食べます。
夜のご飯は、コンビニ・スーパー・デパ地下で買ってきたものを電子レンジで【チン】としたり、そのままで食べます。
ご飯は、よその人が作ってくれます。】

【ママの爪は、いつも綺麗です。爪はいろいろな色になっています。
キラキラもついています。
私も綺麗にしたくて、ママに爪を綺麗にしてもらいました。
でも、爪が重くかんじられました。
お掃除をすると、爪が邪魔でした。
ランドセルに教科書の入れ替えをしていたら、爪が引っかかってしまいました。
だからママは、お掃除やご飯の仕度ができないんだ~と思いました】

【お父さんは、仕事に早くに出かけて、だれよりも遅くに家に戻ってきます。
お父さんが帰ってくると、お母さんは「電子レンジでチンして

韓流テレビを見ながら言います。
僕たちとお母さんは、一緒にご飯を食べるけど、お父さんは、いつも一人ぼっちでご飯を食べます。
寂しくないのかな・・・】

【僕は、将来は結婚しません。
お父さんを見ていると、僕も男だから同じになるのかと思ってしまいます。
お給料は銀行にお母さんが取りに行きます。
お父さんは、お母さんからお小遣いをもらいます。
お父さんは、仕事のパソコンをほしいな・・・とか友達と会うんだけれど・・・と言っても
お母さんは「駄目。まだ使えるでしょう。そんなお金はないわよ」といいます。
お父さんは、欲しいなと思うものは何も買ってもらえません。
友達と会うこともできません。
お母さんは、洋服を買ったり、お友達とご飯を食べに行ったり歌手のコンサートに行ったりします。
だから、僕も男だから、お父さんのようになるのかなと思うと結婚はしたくないと思います】

【私のおじいちゃんとおばあちゃんは昔の話をよくしてくれます。
「小さい頃は、今のように食べ物もお菓子も沢山はなかったんだよ。
お父さん・お母さんが、一生懸命働かなくてはご飯も食べれなかったんだよ。
だから、子供たちもお手伝いを良くしたんだよ。
勉強もお手伝いの合間にしたものだよ。食べ物は大事にしなければダメだよ。
作ってくれた人に感謝して食べるんだよ・・・・
私は、いつでも美味しい物を食べれて、ディズニーランドにも行かれて、クリスマス・お誕生日にも、プレゼントをもらえる。
お手伝いもしないのに。
ピアノ・水泳・ダンス・塾、なんでこんなにできるのだろう。
食べたくないものは残してもへいきだし、我慢をすることもないかもしれない。
私は、おじいちゃんやおばあちゃんのように、我慢をして一生懸命働いて生きるようになれるのかな・・・】

【僕は、お父さん・お母さんに褒められた。
電車で座っていたら、赤ちゃんを抱っこしていたおばさんに席を譲ったからだ。
いつも、自分より小さい人・弱い人・お年寄りがいたら席を譲るのだよと言われていた。
おばさんは、なんども「ありがとう」と言ってくれた。
僕は、恥ずかしい気持ちになった。
でも、大人はなんで、弱い人に席を譲らないのか不思議に思った】

【お父さんとお母さんが、今日も黙ったままだ。
「お友達と喧嘩をしないのだよ。喧嘩をしても、自分が悪かったと思ったら謝るんだよ」と言われた。
なんで、大人は喧嘩しても謝らないのだろう】

というようになるのだろうか。

児童詩集【サイロ】のように子供の詩を通して、生活の歴史・・生活感・夫婦間・親子間・社会観・自然の描写などなど時代の移り変わりを、子供の目を通して感じられることができる。
澄み切った心と目で書かれている詩は、なんとも尊いと思う。

私達大人と言われる人間は、再度澄み切った心と目を取り戻したいものと思うと同時に自らの行動を、いつも子供達が見つめているということを忘れてはいけないのだろう。

電車に乗った一瞬のできごとから、長文になりましたがやはり、子供達に生活の歴史の伝授はしなければならないと。
本当に人ごとではないかもしれない。

投稿メンバー

江本ヒロミHiromi Emoto
神奈川県出身
いつまでもあると思うな親と金。
心も大きく体も大きいが病気は一切無し。心身ともに健康。