A【心のギヤチェンジ】

心は、なかなか自分の好きなようにコントールできない。
上記をネットの中で見つけた。
確かプレジデントの雑誌を読みネット検索をしたと記憶する。
本当に便利な世の中だ。

先日【ジョハリの窓】【自己実現】という講義を受けた。
15年前に初めて受講をし、2010年6月に5回目の受講をした。
【ジョハリに窓】は(ジョー・ルフト、ハリー・イングラム発案 1966)と聞いた。
4つの窓があり、その窓はA・B・C・Dとなる。
• 開放領域(自分も他人も知っている自分)
• 盲点の領域(自分は知らないが、他人は知っている自分)
• 隠している領域(自分は知っているが、他人は知らない自分)
• 未知の領域(自分も他人も知らない自分)

B【ジョハリの窓】

A【心のギヤチェンジ】B【ジョハリの窓】でも自分の評価と他人の評価が同じ方が良い。
自分の評価と他者の評価が大きく異なるということは、自分で自分を知らないことになると言う。
どちらも、自分を知る意味では参考になる。

昨今、車はギヤチェンジなしのオートマチックがほとんどだろう。
マニュアル車は、両足・両手を使い危険回避をしていた。
当然、ナビなどはなく、地図を手元に置き行く先を確かめながら、たまには場所がわからず車を止めて地図を調べたり、通行人やお店の人、交番でというように人に聞きながらの運転だった。
携帯電話は高価で手が出ない時代。
いまどき笑われるかもしれないが公衆電話を見つけては用事を足していた。
子供を持っての仕事では、会社で電話はかけられない。
これも公衆電話まで走り、子供と連絡をしなければならないことも多々あった。
両足・両手・良く場所まで頭を使い、公衆電話に走りと、身体全体を使っていた。

オートマチックになり、右足だけで車は動き、上り坂でも下がらない。
ナビの発達で、地図は記憶させて住所まで案内をしてくれる。
まして、テレビ・音楽なども自由自在になった。
携帯を使いながらなどあたりまえ。
マニュアル車ほど、緊張をもっての運転もしない。
会社でも携帯で仕事以外の連絡は当然のように行うことができるようになった。
昔は勤めにでれば、仕事が終わるまで家族と会話などできなかった。
今は、仕事時間であっても家族と連絡をとるのはあたりまえの時代。
熱がでた…、病院に行ってきた…、云々…。
男も大変な時代になった。
子供も【お父さん、早く帰ってきて】…。

車の運転、テレビを見ながら、携帯で話しながら、音楽を大きな音で聞きながら、最近は後部座席にもテレビの時代なのですか?(昔は観光バスに付いていましたね)
こんなに物事を容易く行うことができるようになったにもかかわらず、忙しく慌ただしいのはなぜだろうか?
家族とも密に連絡が取れ、車でも前後でテレビというように高価で便利な時代になったが、親殺し子殺し等々、家族間での閉塞感は増えている。

人生80年、いや90年といっても過言ではない。
その人生の3/4を生きてきて、心のギヤチェンジができないことに焦馬を感じている。
オートマチック車のように、ギヤチェンジの必要のない人生に疲れを覚えているように思う。

こんな時、テレビ放映で【自給自足の家族】を見た。
今の時代【自給自足】を憧れのように話をするか。
20年前、30年前に【自給自足】生活を始めた方々は、諸事情があり、またその生活を晒し者として生きてきたかもしれない。
すなわち【変わり者】のレッテルでしょうか?
時代が変わり【自給自足】は評価をされるようになった。
体を動かし、食べ物を作り、加工し、生き物を飼い、畜生もしているが、人間が生きるということを正しく理解をしているように思った。
そして、その生活ぶりに不平不満がないことに、生きるということは何なのだろう?と考えさせられた。

【心のギヤチェンジ】【ジョハリの窓(自己実現)】
ペーパーで学ぶことはできても、行動で学ばなければ何も変わらない。
その答えは自分でしか出せない。
これが現実だ。
さて私も、そろそろマニュアル車時代に戻ろうかな?
そんな年代になったかも。
それも悪くない。
自分で自分に言い聞かせている自分にふと笑える自分がいる。

投稿メンバー

江本ヒロミHiromi Emoto
神奈川県出身
いつまでもあると思うな親と金。
心も大きく体も大きいが病気は一切無し。心身ともに健康。